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Posted by LOGPORT運営事務局 at

2012年06月19日

今晩は

今日ちょっと笑っちゃいましたw

今日は園がお休みだったのでちょっと子供センターに行って来たんですけど
時間的に貸切状態だったんで息子ものびのびあそんでたんですよ

うちにないおもちゃとか
トランポリンとか滑り台とか
めずらしくて興奮しちゃったらしくずっとニコニコ遊んでたんですけど
一時間ぐらいたっていきなり
トランポリンの上でウトウトはじめましてww

そんな限界になるまで遊ばなくても・・・w
そんなに楽しいならもっと頻繁に連れてきてあげればよかったかなあ
なんて反省しつつ
たまにだから面白いんだ!!
なんて言い訳したりもしてww

普通は平日は息子は日中通園してるからなかなかいけないんですけどね^^;
機会があったらまた連れて行ってあげようw


たかの友梨 エステ体験

便秘 カイテキオリゴ  


Posted by りん66 at 00:00Comments(0)

2012年06月03日

受け入れるということ

こんばんは
最近
というか前から考えてはいたんですけど、最近特に強く考えるようになりました
知るということ
理解すると言うこと
受け入れると言うこと
似ているようで全部全然ちがうんですよね。

知ることは簡単です。
話を聴いたり勉強すればいいんです

理解するのは難しいです
自ら歩み寄らなくては理解できません

受け入れると言うこと
非常に難しいです。困難な場合が多いです。

私の息子は障害児であるわけなんですけど、「うけいれること」について
考えさせられることが多いです
母親である私はもう生まれたときからですから
病気も障害も息子自信も受け入れて過ごしているわけですけど

他の人にはそれを「知らせる」ことはできても
「理解してもらう」のは根気が要る説明を何年も繰り返さなくてはいけないし
「受け入れてもらう」のは正直・・・今のところ家族でさえも1人として受け入れてくれた人は居ないという現状。
勿論可愛がってくれるし愛してくれるけど
それは「息子がかわいい」というだけで、
障害に対して理解や「この子はこういう障害だからこうしていくことで未来が開けるからこうしよう」
とか、「これは健常者には簡単でもこの子には難しい、もしかしたら最悪な結果になってしまうかも」
というのはすんなり受け入れできるものではないんですよね
実際に発作を起こしたりする場面を見るのも常に一緒な私だけだし
介護や訓練するのも私なので
他の人は息子にとって「死」が身近であるということは認識しにくいのだと思います

でも息子にみんなが向けてくれている愛情は紛れもない本物なのです
障害を「知った上で愛してくれる」
今の状態はこういうことになります
息子にとっては今の状態がいいのか
受け入れてくれる環境がいいのか
私もまだまだ未熟なので
一番の環境をそろえてあげられてないのかもしれない

長い戦いになるけれど
笑顔を忘れずがんばるぞ!
  


Posted by りん66 at 22:54Comments(0)